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東京高等裁判所 昭和37年(う)1637号 判決

控訴人 被告人 土田長二

弁護人 飯島磯五郎

検察官 高橋勝好

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年に処する。

原審における未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人飯島磯五郎作成名義の控訴趣意書記載の通りであるから、これを引用し、右につき当裁判所は次の如く判断する。

案ずるに、原判決は、被告人に対し業務上過失致死傷罪に該る構成事実を判示するに当り、判示交差点において信号を無視して横浜新道方面に右転回したことをもつて過失だと判断したことは所論のとおりである。しかし、該転回行為そのものは決して過失をもつて論ずべき筋合ではない。該転回行為が歩行者又は他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがある情況の下に為されたものであるならば、それは道路交通法第二五条第一頃に違反し、同法第一二〇条第一項の罪を構成するわけであるが、原判決は右のごとき情況の下になされたものであることを判示していないので、該罪の成立を認めることはできないといえよう。しかし、右転回行為は停止信号を無視してなされたものであるから、この点につき同法第四条第二項に違反する行為として同法第一一九条第一項第一号の罪の成立することを免れない。しかり、而してこの罪は故意犯である。故意行為たる、この信号無視転回をもつて、同時に、又、業務上の注意義務違反行為でもあると評価し、法律適用の欄において、これを刑法第二一一条前段の罪とともに一所為数法の関係にあるものとして被告人を処断した原判決は、まさに、擬律錯誤の違法を敢てしたものといわなくてはならない。また、原判決は、フートブレーキが故障し制動の機能を有しなくなつたことを知りながら、修理することなく運転した行為(道路交通法第六二条違反の罪)も亦業務上過失致死傷罪と一所為数法の関係にあるものとして擬律したが、右運転行為そのものは道路交通法第一一九条第一項第五号の罪に該るだけであつて、これをもつて、また同時に刑法第二一一条前段の罪を構成する過失行為と評価すべきいわれはない。従つて、原判決は、この点においても擬律錯誤の違法を敢てしたものといわなくてはならない。

ところで、原判決の挙示した証拠を綜合して考覈すると、本件事故は、被告人が判示交差点にさしかかつた際、右斜前方約一二米の進路の略中央を判示横井武恭、間宮静栄等五、六名が左から右へ横断歩行中であることを認めながら、横浜新道方面に右転回しようとしたのであるが、このような場合においては、右歩行者の動静に注意し、フートブレーキが制動の機能を有しなくなつている点に思を致し、右歩行者に衝突するがごときことなく、右転回を終わり得るよう万全の措置を講ずべき業務上の注意義務があるにかかわらず、被告人はこの義務を怠り、漫然約一〇キロの時速で運転を継続し、右転回を終ろうとした頃、前示横井及び間宮に五、六米の近距離に接近して初めて危険を感じ、あわててフートブレーキを踏んだが用をなさず、直ちに、サイドブレキをかけたが、時既におそく、自車の前部バンバーを右横井と間宮とに激突させて、両名を路上に転倒させ、更に、左前車輪で右横井を轢き、よつて同人を頭骨複雑骨折によつて即死せしめ、右間宮に対し加療約二週間を要する判示傷害を負わしめたというのであつて、本件事故たるや、被告人はフートブレーキの制動機能の失われている点に思を致さず、サイドブレーキだけで直ちに停止し得るよう徐行するというがごとき、事故発生防止上必要なる措置に出でなかつたために発生したものであつて、被告人の過失は、もつぱら、ここにあつたのである。

なお、所論は判示転回行為は修理のため森武ガソリンスタンドに赴く途中であつたから、該転回行為は緊急避難行為をもつて目すべきものだと主張するのであるが、緊急避難行為をもつて目すべき事情は、証拠上いずこにも発見することができないので、右主張は固より採用するに由ない。

原判決には以上説示するごとき擬律錯誤の違法があるから、この点において破棄されなければならない。それで、量刑不当の論旨に対する判断を省略し、刑訴法第三九七条第一項に則つて原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従つて直ちに判決することとする。

すなわち原判決の認定した事実を法律に照らすと、被告人の原判示所為中、業務上過失致死の点及び業務上過失致傷の点は各刑法第二一一条前段に該当するところ、右は一個の行為にして二個の罪名に触れる場合であるから同法第五四条第一項前段第一〇条により重い業務上過失致死罪の刑に従い所定刑中禁錮刑を選択し、整備不良車輛運転の点は道路交通法第一一九条第一項第五号第六二条に、信号無視運転の点は同法第一一九条第一項第一号第四条第二項同法施行令第二条に各該当するところ、右は一個の行為にして二個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段第一〇条により重い整備不良車輛運転の罪の刑に従い所定刑中懲役刑を選択し、これと前示業務上過失致死罪とは刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文但書第一〇条により重い業務上過失政死罪の刑に併合罪の加重をなした刑期範囲内において被告人を禁錮一年に処するを相当とし、原審における未決勾留日数中一二〇日を刑法第二一条により右本刑に算入し、原審における訴訟費用は刑訴法第一八一条第一項本文に則り全部被告人に負担させるものとし、主文の如く判決する。

(裁判長判事 尾後貫荘太郎 判事 鈴木良一 判事 飯守重任)

弁護人飯島磯五郎の控訴趣意

第一点事実誤認

判示によれば本件被告人の過失として

第一交叉点附近を進行中、フートブレーキのオイルパイプが破裂して制動の機能を有しなくなつた事に気付いたのに拘はらず右故障を修理することなく運転を続け、云々然れども自動車交通最も頻繁な行政道路上に於て自動車を駐車すること自体が違法であり況や駐車して故障を修理するには相当時間を要し交通妨害の罪を犯すことになるから被告人としては該交叉点の附近に知合の森武というガソリンスタンドがあるから其処へ行つて会社に連絡し修理工に来て貰つて故障を修理する意志で其まま運転をつづけた次第で、寔に臨機応変、職務に忠実なる緊急避難的行為であり之を過失なりと断ずることは酷である。

第二立町交叉点に至り自己の進行方向の信号機が停止信号であり、横井武恭等が横断中であるのに右信号に従い運転を停止すべき注意義務を怠り」云々、右ガソリンスタンドに入るべく、右停止信号を無視して運転をつづけ横浜新道方面に右転回した過失により」云々、然れども、一、右停止信号は自己の進行方向即ち東京方面行の進行を停止せむる信号であり被告人は前記ガソリンスタンドへ行くので、東京方面へ進行するのではないから該信号には無関係である。二、被告人は前記の目的を以てガソリンスタンドへ行くべく該交叉点前を右転回したが然し交叉点附近では右転回を禁止する旨の明文はない、況や同所にはUターン禁止の標識も存在しない。

第三被告人の過失の有無

一、当時被告人は、東京方面へ向けて進行中偶々立町交叉点前に於て被告人の進路を横断中の被害者等を発見したが、前記の通り修理の為め森武スタンドへ行くべくUターンするが、然し被告人としては、被害者等が横断し切れぬ中に十分に車は其処を通過し得るものと直覚したので、其まま進行を続けた次第で右転回したこと自体は何等過失ではない只錯覚があつた丈である。二、錯覚に就て(A)空間的知覚の錯覚 位置、部位、方向、拡り、大小、距離、遠近、奥行等の知覚の錯覚(B)運動知覚の錯覚 事実の実質的運動、仮現運動、物体の変化、静止の知覚の錯覚、当時被告人は被害者との距離、方向、遠近、位置、動と静の知覚から見て車の方が先に通過し得るものと錯覚したのである。(C)形式的知覚の錯覚 外界の事実の時間的空間的関係、静と動との関係に関する形式的な知覚の錯誤、被告人は車の速力、位置、方向、角度、速度被害者等の動と静から見て十分に車の方が先に通過し得るものと錯覚したのである。三、況や被告人が右横断中の被害者等を発見してからUターンしてから衝突する迄の間には三段階の変動がある即ち、(1) 東京方面へ進行中初めて横断者を発見した時 (2) Uターンすべく右折した時 (3) 更に右折してUターンを完了し進行しつつある時、此の三段階に於て車と被害者との距離、位置、方向、角度、車の速度、被害者の速度等に相当の変化があることは当然であるから此の点も亦錯覚の上に影響がある。四、錯覚を起した原因 1物理的幾学的原因 2生理的心理的欠陥 3当時の被告人の精神状況 A連日の過労、B車の排気ガスの影響 C精神電流反応から検すれば極度の緊張があつたものと思はれる。即ち、被告人はブレーキの故障を心配して、早くスタンドへ行つて修理しなければ、如何なる事故を起すかも知れないと深く苦慮して居たので呼吸、大脳の動き、血圧、脈等にも相当の異常があつたと思はれる。

第二点情状論

第一被害者の重大な過失

一、被害者等は正規の横断歩道でない所を横断して居た。即ち本件発生の場所は立町交叉点である同交叉点は横浜新道と第二京浜国道とが交叉する地点で、第二京浜国道丈でも一日の中に十万台以上の車が通る由 二、故に此の交叉点は危険千万であるから、横断歩道さへ作らず絶対に横断することを禁じて居る場所である。其処から十二米離れた処に正規の横断歩道が設けられて居る。三、然るに被害者等は其の正式の横断歩道を通らずして法の禁ずる地点を勝手に横断して居た、法令違反、故に仮りに被告人に何等かの過失があつたとしても、被害者等が法に違反し、交通科学と交通道徳を無視して此処を通らなかつたならば、本件は絶対に発生しなかつたのである。四、被告人の供述によれば、被害者二人は肩をすり寄せてアベツクの様な格好で何かヒソヒソ語り乍ら下を向いてノロノロ歩いて居た、初め横断者を見つけた時は、五六人居たが外の人は全部通過して影も見えないのに二人はノロノロ歩いて居たので被告人としては時速十キロなら十分に無事通過出来ると直覚して進行した次第である。五、又之を反対に考へる余地もある。心理学者曰く 日常の時間単位たる一秒は複歩の時間、約〇・九八秒を基準としたものである。と然らば二歩歩くのに〇・九八秒ならば被告人の車の幅は二・五米であるから、夫れ丈歩くのに四歩-一・九六秒で通過出来るから、若し彼等がノロノロ歩かず通常人の歩き方さへすれば車より先に通過し絶対に衝突しなかつた。故に此点から見ても衝突の責任は被害者等の過失にある。六、被害者等の供述によれば「運転手はクラクシヨンは鳴らさなかつた」「又車の来たことは衝突する迄知らなかつた」云々、此の一言は却つて、被告人がクラクシヨンを鳴らしたのに、夫れさへ耳に入らぬ程夢中で肩をすり寄せて、何かヒソヒソ語り合つて歩いて居た反証である、又肩をすり合せて下を向いて歩いて居たので前方も、右も左も見ないで、衝突する迄車の近づいた事さへ知らなかつた証拠である故に被害者等は交通科学を無視し、歩行者としての交通道徳に違反し道路横断に就ての歩行者としての義務違反であり交通法規違反である。

第二本件発生の真の原因

若し夫れ一歩を譲つて本件被告人に何等かの過失ありとしても本件発生の直接の原因は被告人の過失のみに因るものではない被告人の過失と被害者の重大な過失との結合の結果である、何れか一方のみの過失ならば本件は絶対に発生しなかつた事は現代科学上論理上明白である。一、被告人の過失と本件発生の直接原因とは其の質と量とを異にする、水に濡れることは、水の力によるもので決してHの力でもOの力でもない全く其の本質を異にするH2 とOとの結合した水の作用である。二、エールリツヒは其生化学に於て「結合せざれば作用なし」と謂う誠に然り、宇宙の森羅万象之れ悉く此の一言に尽く、本件の場合に於ても亦然り、両者の過失が結合しなければ本件は絶対に発生しなかつた。三、薬理学の原則に「複合剤の効果は、各単剤の効果の自乗の和に等しい」と謂う、然らば、被告人の過失を1∥とし被害者の過失を2∥とすれば、(12+22=5)即ち5∥の力が本件を発生せしめた直接の原因である。而して其の5∥は被告人の過失の効果1∥と被害者の過失の効果3∥との結合である。四、果して然らば、何故に本件被告人のみを処罰せんとするか、其の科学的論理的根拠何処にありや况や其の過失の最も小なる被告人を重く処罰する必要何処にありや、賢明にして絶対公平なる裁判所の御明鑑に訴へる次第であります。

(その余の控訴理由は省略する。)

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